カワイ出版 第1刷
達治と濤聲

 処女作「柳河風俗詩」以降60年間、恩師山田耕作・清水情・林雄一郎・畑中良輔の諸先生
からの「多田君、お前の作風に合うのは、大正・昭和時代の日本近代詩だから、その中からア・
カペラ男声合唱曲に馴染む名作を選んで作曲しろ」とのご薫陶に従い、専ら、ア・カペラ男声
合唱組曲を書き続けて来た。東西四連各団の演奏会や東西四連の合同ステージで私の作品を採
り上げて頂いたり、各団の演奏会の為の新作の依頼を受けたりしたが、東西四連の合同ステー
ジの為の新作の委嘱は今回が初めてであった。
「若さに満ち満ちた、演奏技量の卓絶した200名以上のメンバーに呼応する作品」として、ま
た前述の恩師のご教導に応えるべく、三好達治先生の「濤聲」を主軸とした詩を選ぶこととした。

 三好達治先生の生地は大阪市東区(現中央区)南久宝寺町。私の生地の大阪市南区(現中央区)
大宝寺町西之丁から北へ2kmほどの所。そんなご縁を感じて私は学生時代から何度か三好先生
の詩にも作曲を試みたが、果たすことは出来なかった。
 三好先生の詩に漂う抒情は、時に広大に、時に可憐に変化する。然しその底流には、常に
三好先生ならではの人生観・宗教観が存在していた。この特質に無頓着なまま、音だけを追い
掛けて作曲しようとしていた自分の浅はかさに気付き、私は1977年以降今日まで、三好達治
の詩による男声合唱組曲『海に寄せる歌』『わがふるき日のうた』『追憶の窓』『秋風裡』『百た
びののち』『達治の旅情』『花筐』『鳥の歌』と、混声合唱組曲『季節のたより』を作曲した。
 今回は詩集から「濤聲(おおなみの音の意)三篇を選び、第一・第三・第五曲目に配置し、更に、
組曲構成上、間奏曲風の穏やかな二篇を選び、第二・第四曲目に設定し、組曲の標題を『達治
と濤聲』とした。

1997年の東西四連定期演奏会合同ステージで、私は自作の組曲「富士山」の指揮を仰せつか
ったが、この時が山脇卓也氏との初対面。彼は早稲田大学グリークラブの学生指揮者だった。
明朗闊達な好男子で音楽に対する意見や質問事項を単刀直入に述べてくる。その内容も正統的
で論旨もしっかりしていた。爾後私はこの好印象をずっと持ち続けていたが、11年の歳月が流
れた。
 2008年、「早稲田大学グリークラブ創立百周年記念演奏会のための新曲を」とのお申し出で
があった。急遽、詩人丸山薫先生の「帆船の子」に作曲をして持参し「この曲の指揮者には、
山脇卓也氏が相応しい」とお願いした。予期したとおり彼は、名初演をしてくれた。
 今回の『達治と濤聲』について「詩と音楽との複合芸術の観点からの見解」と「全体練習の
後の様子」を訊ねた処、彼は7年前の「帆船の子」の初演時より驚異的な成長を遂げていて、「五
篇の詩情の特質・個々の詩の配列の妙・個々の楽曲の構築性と装飾性の使い分け・枝葉末節に
捉われない骨太の解釈」など、詩と音楽との複合芸術の具現化に必要な事項を選別し、既に、
名初演への道筋を洞察していた。
 百年以上の歴史と伝統を受け継ぐ東西四連の若人たちの卓絶した演奏技術によって、この初
演は華々しい成果を齎らすことだろう。

2015年6月 多田武彦