カワイ出版 第1刷
京洛の四季


●京洛の四季~季節について

一夏が終わる頃、暮れていく空を仰ぐと「何かが失われていく」…という感覚に見舞われ
ることがある。蝉の声が木々の中から聞こえ、夕立の後の濡れそぼった庭石が風を涼ませ
ると、強かった夏の匂いの中に静かな秋が香る。幼い頃、兄と行水をした。たらいに水
をはり、縁側で祖母が西瓜を切っていた。風鈴の音が二つに割った真っ赤な西瓜の上に降
り注ぐと、時が止まったような不思議な感覚に身を包まれた。「この場面はいつか見た…」
いや、「この場面をいつか思い出す…」そんな気持ちがあいまいな幸福の中で感じられた。
私たちは子どもから大人へと成長し、様々な時代や歴史を経験し、流行を追ったり、時代
に振り回されたりしながら、年をとる。しかし、同時に私たちの中にも時間がある。大人
になった私たちの中には、いつまでも子どもの頃の時間が、そのときに見た風景や匂いや
手触りとともに残っているのではないだろうか。そのような外側の時間と内側の時間が私
たちを取り巻いている。そしてそこを往来する扉が、小さな傷跡のように見え隠れする季
節の欠片なのだ。

多田武彦先生に作曲していただいた「京洛の四季」を構成する言葉は、確かな手触りを持っ
た私たちの思い出の中に存在する季節の欠片だ。
薬缶を乗せたストーブ…
山椒の枝から飛び立った鮮やかなアゲハ蝶
遠い空の向こうに見えた雲の階段

私たちはこのような瞬間が永遠に続いてくれることを願いがながらも、一方でそれが確実
に失われることを知っている。しかし、それらは夢や錯覚を含む季節の想い出として、い
つでも控えめな残り香を放ちながら反復し、やがて誰かのえくぼや毛糸のマフラーの中に
宿るのだ。
私たちの胸にともる小さな灯りとして。
                                2015年10月
                                みなづきみのり
追記:
私の拙い言葉から、想い出を読み解き、心に残る音を紡ぎだしてくださった多田武彦先生
に感謝申し上げます。