メロス楽譜 M1011 第1刷
秋の流域
作曲者のことば
多田 武彦
 それまでの4年間、作曲活動を一時中止していた私は、1974年秋に再び筆を
執り、初めて詩人尾崎喜八先生の詩に作曲した。男声合唱組曲『尾崎喜八の
詩から』である。「あたたかく、人間味溢れた清廉な先生の詩風」のおかげ
で、今も愛唱されている。
 その後私は、尾崎先生の詩による男声合唱組曲を四つ作曲している。中で
も組曲『樅の樹の歌』の第三曲目「故地の花」の詩には深い感動をおぼえ
た。先生が詩作のための旅行先から「伊吹麝香草」の豊かな芳香と共に、酷
暑の東京で留守をあずかる愛妻へ送られた、心温まるメッセージであった。
1991年に甲南大学グリークラブから新曲の委嘱があった。当時私は尾崎先
生の秋の詩による組曲の構想を練っていたので、これを完成し、終曲を「秋
の流域」で結んだ。
 「秋の流域」の副題には「わが娘、栄子に」とあった。栄子様の話による
と、栄子様が小学生の頃から先生は栄子様を伴って、よく山野を逍遥され
た。その折には必ず自然の美しさや厳しさを教え、そこにある鉱物や動植物
について、解かりやすく説明され、山麓や流域に住む多くの人々の生活の尊
さを話されたそうだ。
 「よく見ることによって理解し、理解することによって愛し、その愛から
芸術を生む」という先生の語録を象徴する詩であった。
 尾崎先生とは逆に、出不精の私が登山好きの娘に誘われて、美ケ原に行っ
た時「美しの塔」のレリーフの中に拝見した先生の著名な詩「美ガ原熔岩台
地」を、この組曲の第三曲に掲げた。
 また、先生がよく訪れられた中部信濃の由緒ある追分桝形地区でその地の
哀感を詩われ、これを詩人立原道道が参画していた「四季」に寄稿された
「追分哀歌」を第四曲目に配した。
 そして、他の3曲と合わせ6曲による組曲とし、組曲の標題を6曲目と同じく
『秋の流域』とした。全体に尾崎喜八先生の人生哲学がしみじみ伝わってく
るような作品となった。
 終わりに、この組曲の出版にご尽力くださったメロス楽譜西野一雄氏に、
厚く御礼を申し上げる。
2000年3月