メロス楽譜 M1054 第3刷
北国
作曲者のことば
多田 武彦
1960年、早稲田大学グリークラブから、初めて新曲の委嘱があり、丸山薫先生の詩による
男声合唱組曲『北国』を作曲した。
 丸山先生は当初、高等商船学校へ入学されたが、後に第三高等学校から東京帝国大学文学
部に進まれ、卒業後は三好達治先生・堀辰雄先生と共に、昭和初期の我が国詩壇において活
躍された。1945年春、戦火に遭い山形県岩根沢に移住、その地の小学校で教鞭を取りなが
ら、山村生活の所見を集めて、風物詩集「北国」「仙境」「花の芯」などを詩作し、上梓された。
 組曲『北国』は、丸山先生の描く清澄な抒情と、人間愛に満ちた詩情によって、今日まで
多くの男声合唱団によって愛唱されてきたが、私は何時の日にかもうー曲を加えて、組曲の
内容を充実させたいと考えていた。
 初演の折、早稲田大学グリークラブの学生指揮者だった長澤護氏(卒業後は大手建設会社
≪鹿島≫に入社、主に超高層建設部門で多くの実績を残した仁)は、組曲『北国』を永年そ
の胸中に収めていてくれて、折にふれ私に『北国』の増補改訂を促していた。
 今年(2007年)長澤氏から「秋に、自分の出身の福島高校男声合唱団のOB達で『北国』を
演奏する」との一報が入った。ふと何十年ぶりかで丸山先生の詩集を読んだ処、「白い自由
画」が目に止まった。これを三曲目に挿入すると次の「まんさくの花」への繋がりもコント
ラストも良くなると感じて、急遽増補改訂版を完成した。
 そんなことから一日も早く「白い自由画」を聴いてみたくて練習場に赴くと、そこに1955
~6年に横浜国立大学グリークラブの学生指揮者だった紺野信寿氏(卒業後は当時発展途上
の≪キヤノン≫に入社、現在同社のドル箱の一つである事務機器部門で、永年企画力を発揮
してきた仁)が指揮をしていた。
 またファースト・テノールには下田博郎氏(慶応義塾ワグネル・ソサイエティー男声合唱
団が1960年、畑中良輔先生を常任指揮者に迎え、驚異的名演奏を披露した折のファースト・
テノールのリーダーで、卒業後は大手総合商社≪三菱商事≫に入社、主に宇宙航空機部門、
特に人口衛星開発部門で活躍した仁)が居て、ここでもファースト・テノール部門で長澤氏
と共に美声の早慶戟をやっていた。この三人が同じ福島高校出身だったことは初耳だった。
 永年、男声合唱組曲を書き続けてきた私は、多くの男声合唱団で「同じ高校出身者が夫々
別の大学に進み、更に別々の職域で戦後日本の経済力伸展や地域社会の発展に寄与し、職分
を全うした後、再び男声合唱に打ち込んでいる人達」の多さに驚く。そして「学生時代の
若々しい精神を持ち続け、その上に社会生活の中で集積された人生経験をもって、合唱音楽
の内容表現を一段と高めている姿」に頭が下がる。
 終わりに、この組曲の出版にご尽力くださったメロス楽譜西野一雄氏に、厚く御礼を申し
上げる。
2007年11月