メロス楽譜 M2005 第1刷
更紗模様
作曲者のことば
多田 武彦
1956年秋、当時同志社グリークラブに所属していた二番目の弟の雅彦から伝言があった。「同志社
グリークラブとして、1957年の東西四連で初演する新作の委嘱をしたい」との意向であった。それま
でに『柳河風俗詩』 『富士山』の二つの組曲しか書いていなかった私にとっては光栄この上ない依頼
であった。
1953年に合唱コンクール課題曲に応募、佳作入選した「柳河」(組曲『柳河風俗詩』第1曲)に続
いて、1955年には「彼岸花」が再び佳作入選した。そこでこの「彼岸花」を組み入れて男声合唱組曲
『雪と花火』の作曲を計画した。楽譜を手渡した数カ月後「作曲者の話を聴きたい」と、学生指揮者
の河原林昭良さんが京都からわざわざ私の住む東京の公団住宅まで来てくれた。河原林さんは初村面
とは思えないほどの親近感を感じさせる学生さんだったが、眼光だけは鋭かったことを今でも鮮明に
思い出す。どちらかといえば寡黙だったが「曲の構成・詩と音楽との関連性・演奏上の留意事項」
等々、質問内容は実に当を得ていた。河原林さんの卓絶した知識装備と指導力、当時の同志社グリー
クラブの精緻な伝統的歌唱力により『雪と花火』の名初演がおこなわれ、この年同志社グリークラブ
は全日本合唱コンクール大学の部で第一位を獲得した。
 河原林さんは、1958年卒業後関西テレビに入社、永年にわたり音楽番組の制作に従事し、その優れ
た創造力・計画力・演出力を駆使して多くの名番組を提供された。
 またクローバークラブ常任指揮者としても活躍され、同志社グリークラブの後輩たちの指導にも尽
力された。1996年60歳の若さで幽明界を異にされたが、放送界のみならず、合唱界においてもその早
すぎるご逝去を惜しむ人々は多かった。
 2008年1月「大阪クローバークラブとして新曲を委嘱したい。できれば河原林さんが初演された
『雪と花火』のような詩に作曲してほしい」旨のご懇書をいただいた。そこで今回は北原白秋先生の
詩集『思ひ出』より6篇を選んだ。
 作曲をしているあいだ中、すぐそこに河原林さんが坐っていて、「さてどんな組曲が出来るのか
な」と微笑みながら見ているような気がして、緊張しながら書き進んだ。
 いつもは一曲一曲を書く毎に「詩人はこの時はどんな想いで詩作をしたのだろうか」と考えながら
作曲をするのだが、今回は北原白秋先生の傍に河原林さんが居て、北原先生と詩情について話してい
るようだった。
 そしてご両人が一曲ごとに「時の流れ」に驚き(第1曲「時は逝く」)、「薄明の中の踊子」に心惹
かれ(第2曲「初恋」)、「夜桜に見入る人々・母の乳の香・月夜の花車」に包まれながら微睡み(第
3曲「車上」)、「菜種油を絞る音の響き」に人々の喜怒哀楽を感じ(第4曲「手まり唄」)、「お針子
の女の髪や汗や溜息」に幼児期の性の萌芽を覚え(第5曲「二人」)、「早朝の花鳥風月の中を祈祷に
向かう人の清純さ」(第6曲「朝」)、に心打たれているようにも思えた。
 北原先生の芳潤な語彙によって綴られる詩情からは、五彩(赤・青・黄・紫・碧)のほか様々な色
彩を感じ取ることができる。同時に先生の詩や文章の中に「印度更紗」「更紗模様」といった言葉が
散見されるところから組曲の標題を『更紗模様』とした。
 終わりに、この組曲の出版にご尽力くださったメロス楽譜西野一雄氏に、厚く御礼を申し上げる。
2009年8月