メロス楽譜 M2010 第1刷
達治の旅情
作曲者のことば
多田 武彦
 詩人・三好達治先生の生地は大阪市東区(現・中央区)南久宝寺町。私の生地の南区
(現・中央区)大宝寺町西之丁から北へ2粁程の所。そんなご縁を感じて私は学生時代
から、何度か三好先生の詩にも作曲を試みたが果たせず、四半世紀を経た1977年、「海
に寄せる歌」「わがふるき日のうた」「追憶の窓」「秋風裡」の男声合唱組曲と混声合
唱組曲「季節のたより」を一気に作曲した。
 三好先生の詩に漂う抒情は、時には濃厚に、時には可憐に変化する。しかしその底流
には常に三好先生ならではの人生観・宗教感が存在する。この特質を見失って小利口に
音だけ追い掛けて作曲すると恥をかく。そんな思いを抱き続けて2008年には先生の最後
の詩集「百たびののち」より六篇を選び同名の男声合唱組曲を作曲した。
 処で私は、1971年に神奈川県湘南地区に移り住み、小田原男声合唱団との交流が始
まった。周期的に新曲の委嘱があったが、常に「小田原に所縁のある詩人北原白秋・三
好達治・大木惇夫の諸先生の詩に作曲してほしい」との指示があり、これに従って2000
年には大木先生の詩による組曲「西湘の風雅」、2005年には北原先生の詩による組曲
「冱寒小景」、2007年には再び大木先生の詩による組曲「四季鮎綴」を書いた。外山浩
爾先生指揮・小田原男声合唱団の演奏によって名初演を続けて頂いた。
 生来虚弱体質の私は、77歳になった2008年以降、加齢現象や怪我によって体調不良と
なり、主治医からは遠距離移動や長時間の指揮・講習・観劇等を禁じられたが、自室に
籠っての作曲家活動だけは許された。余命幾許もない問に、作曲し残した作品を書き
残しておこうと、2008年以降「春のいそぎ」「更紗模様」「百たびののち」「過ぎし
日」「中也の四季」「東京景物詩・第二」「南国の空音けれど」「ふるさとの夜に寄
す」「歳月」の男声合唱組曲を作曲した。そして今年(2010年)1月以降、前述の小田
原男声合唱団のご指示に応えるために作曲したのが、男声合唱組曲「達治の旅情」であ
る。
 三好達治先生の詩には旅の詩や花の詩が多い。その旅の詩の中から箱根連山の麓の湯
治場の静謐を描かれた「いつしかにひさしわが旅」、眼前に広がる早春の海と、人々の
生活を一幅の絵画のように描かれた「南の海」、京都・清水寺門前の京焼陶器の店のお
内儀との軽妙な会話を京都ことばで描かれた「西国札所」、戦国時代の戦略的要衝で、
現在の福井県大野市温見の寒村を訪れた折の印象を描き、良寛禅師の著名な凧文字の書
を詩の標題とされた「天上大風」、とある海浜の仮屋で一人族の旅情をしたためられた
「松子(しょうし)」、幾度かの旅への追憶を、自身越し方行く末に投影し描かれた「国のはて」の
六篇を選んで作曲した。
 終わりに、この組曲の出版にご尽力くださったメロス楽譜西野一雄氏に、厚く御礼を
申し上げる。
2010年6月