メロス楽譜 M2013 第1刷
航海詩集
組曲『航海詩集(増補改訂版)』について
多田 武彦
1949年の5月に開催された関西学院グリークラブ50周年記念音楽会を聴いた私は、人間の声だ
けでこんなに素晴らしい音楽を奏でることができるのかと驚嘆した。
1950年に京都大学に進んでから直ぐに合唱団に入り、京都の名門同志社グリークラブの名演
に酔い痴れ、1952年には早稲田大学グリークラブのダイナミックな演奏や、慶應義塾ワグネル・
ソサィエティー男声合唱団の流麗な演奏に感動し、ア・カペラ男声合唱曲に完全に取り憑かれて
しまった。
1953年に銀行に勤務することになったのを機会に音楽もやめようとしたが、ご教導を受けた
清水脩先生(故人)の助言もあって、日曜作家のつもりで一年に男声合唱作品を一作品だけ書く
ことにした。
 『柳河風俗詩』 『富士山』『雪と花火』と続けるうちに1952年、初めて関西学院グリークラ
ブから新曲の仕事をいただいた。組曲『中勘助の詩から』は名初演により成功。翌年には組曲
『雪明りの路』を作曲させて頂き名演奏が続いた。
1954年、三たび委嘱の栄に浴し、組曲『航海詩集』を書いたが、この頃から勤務は超多忙を
極め深夜の帰宅や休日出勤が続き、体力は頗る衰え、作品の構成力もかなり弱っていた。関西学
院グリークラブの名初演にも拘らず、今から顧みれば『航海詩集』には組曲としての構築性に弱
点があった。これを看破した全国の男声合唱愛好者の評価はさすがに厳しく、三曲目の「わが窓
に」以外は、爾後愛唱されなくなった。
 海洋国日本の男性は海に憧れ、船乗りに憧れる。このことからか1980年を過ぎた頃から、絶
版となっていた『航海詩集』の再版有無の照会がふえてきた。私としても名誉挽回のため増補改
訂を考え続けていたが、なかなか纏らないまま更に年月が過ぎた。
 2008年、稲門グリークラブから「早稲田大学グリークラブ創立百周年記念演奏会のための男
声合唱曲を作曲してほしい」との委嘱があり、丸山薫先生の詩集の中から、かねてより増補改訂
のための候補の一つとしてあたためていた「帆船の子」を選んで、力強い船乗りの歌を作った。
結果は創立百周年記念演奏会に相応しい名初演となった。
 しかしこの頃から私自身は体調不振を痛感していて、記念演奏会終了後一年を経過後この
「帆船の子」を加えて組曲『航海詩集』の再構築を行いたい旨を稲門グリークラブに申し出で、
ご了承をいただいた。また昨年の初め、改定前の作品の初演団体である新月会と関西学院グリー
クラブにも増補改訂のことを伝え、男声合唱組曲『航海詩集(増補改訂版)』が初演時より50年
ぶりに日の目を見ることとなった。
 増補改訂の計画は生前の丸山先生にもお話してあり、先生も合同演奏による大迫力を楽しみ
にしておられたが、1974年に75歳でお亡くなりになった。聴いていただけなかったのがこの上な
く残念である。
 終わりに、この組曲の出版にご尽力くださったメロス楽譜西野一雄氏に、厚く御礼を申し上
げる。
2011年4月