メロス楽譜 M2015 第1刷
落葉松と焚火
作曲者のことば
多田 武彦
1950年京都大学に入学直後合唱団に入団した私は、その年の秋には先輩の指示により京大
男声合唱団の指揮者を命ぜられた。1946年から作曲に必要な「和声学」と「楽式論」を独学
で拾得してきたものの、指揮には全く無知であったので、下宿に近い同志社グリークラブの
練習場の片隅で、当時の学生指揮者・日下部吉彦さんの指揮する練習を固唾を呑んで見聞し
た。「一糸乱れぬアンサンブル」による本番さながらの演奏が繰り広げられていた。この時
すでに同志社グリークラブの音色が「縹色(はなだいろ)に暮れなずんでゆく、あの夕空の色」として私の
心奥に居座ってしまった。
1957年、当時同志社グリークラブに入団していた二番目の弟を通じて、初めて新曲の委嘱
があった時に、北原白秋先生の詩による男声合唱組曲『雪と花火』を作曲し、終曲には迷わ
ず隅田川の川開きを描かれた「花火」を配した。学生指揮者・故河原林昭良さんの指揮によ
る名初演のおかげで、今でも我が国の男声合唱愛好の諸兄によって愛唱されるが「縹色を背
景に、百花繚乱の如く打ち上げられる花火を思い浮かべて歌う」との感概が伝わってくる。
 クローバークラブ東京とのおつきあいは古く、特に私の弟の一年後輩にあたる市島章三さ
んとの交流も長い。(市島さんは在学当時は同志社グリークラブの学生指揮者で、初演翌年
には市島さんの指揮により全国で『雪と花火』の名演をして頂いた)
 一方、組曲『落葉松と焚火』の初演の指揮をしてくれた小林香太さんとの出会いは、1997
年の第46回東西四連。その年の同志社グリークラブの学生指揮者だった小林さんは定演や演
奏旅行で男声合唱組曲『在りし日の歌』の名演を続けてくれた。
 2009年、市島さんを通じてクローバークラブ東京から新曲の委嘱があった。前年にクロー
バークラブ大阪からの委嘱があった時も、白秋先生の詩による男声合唱組曲『更紗模様』を
作曲したが、三たび白秋先生の詩による組曲を書くこととし、永年作曲を思い続けていた
「落葉松」を組曲の冒頭に配することとした。
 白秋先生の詩には大部分様々な波動と変幻自在の速度があるが、「落葉松」には華麗な波
動はなく、進行速度も極めてゆっくりしている。しかし落葉松の林道を逍遥される白秋先生
の後ろ姿を追うと、一旦林道を出てまた次の林道に入る。霧雨がかかり、山風が吹き、稀に
人も行き来する。ふと林間から浅間山を望む。そして最後の四行に「この静かな逍遥と生々
流転の人生」がオーバーラップして先生の後姿が霧雨の中に消える。第一曲を作り終えた
後、この流転の人生を静かに過ごされた先生に思いを馳せて、五つの詩に作曲を続けた。組
曲『雪と花火』を書いたのは私が26歳の後半。それから50年以上の歳月が流れていた。
 終わりに、この組曲の出版にご尽力くださったメロス楽譜西野一雄氏に、厚く御礼を申し
上げる。
2011年12月