メロス楽譜 M2025 第1刷
花筐
作曲者のことば
多田 武彦
1957年の春、当時私は旧制京都大学三回生で、京都大学男声合唱団の学生指揮者をしていた。
合唱団の部室に、入団希望の新入生が訪ねてきた。吉村信良さんである。「明噺な才覚と積極性
に満ちた行動力」と「人懐っこい性格による包容力や調整力」により間もなく多くの団員から
「シン坊、シン坊」と親しく声がかかっていた。
 社会人となってからも、四条通りの老舗西湖堂印刷所の主宰者として、時代に即したユニーク
な印刷業務を進展させる傍ら、近隣の経営者と協調しながら地域社会の発展にも尽力された。一
方では、全日本合唱連盟の要職にあって、日本の合唱音楽の振興に努め、また京都産業大学グ
リークラブを指揮して、全日本合唱コンクール大学の部において9連覇の金賞獲得を成し遂げ、
その後全日本合唱連盟理事長となってからも、常に大局的視野に立って、我が国合唱界の発見に
寄与された。
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 こうした指揮者の下、真摯に研鑽を続けてこられた当時の京都産業大学グリークラブ諸兄は、
1980年代に男声合唱団アルシェを創設し、少人数ながら徐々に活躍の輪を広げて行かれた。2009
年の年末に永年京産大グリーを指導してこられたピアニストの伊吹先生から吉村理事長ご逝去後
のアルシュの近況を伺い、第4回定演のCDを頂戴した。何年ぶりかでアルシュの演奏をCDで聴い
た時、京産大グリー絶好調の頃と比較しても、全く衰えのない名演奏に驚いた。金賞獲得の9連
覇を成し遂げた折の諸兄がOBとなってからも、奇を衒わない正統的演奏を行っていた。この感
動を早速伊吹先生にお話し、同時に「アルシェには今後一層の進展を期待できる潜在能力がある
こと」「そのための独特の練習方法」をお伝えした。
 2011年に再度伊吹先生から第5回定演のCDが送られてきた。アルシュの演奏は一投と進展を遂
げていた。西洋の超一流の交響楽団や合唱団がやっている「練習時には演奏するだけでなく、聞
き耳を立てて団内のアンサンブルの完熟度を追求すること」「西洋音楽の演奏に必要な構築性主
要4項目(リズム・メロディ・和声学・楽式論)の整合性の遵守」「同様装飾性主要2項目
(デュナーミク・フレージング)の整合性の遵守」について、学生時代以上の力量を発揮できる
萌芽が感じ取られた。「全国のOB合唱団の人々は、社会生活の中から多くの貴重な人生体験を
重ね、それが無意識のうちに合唱活動の中に浸透し、音楽が学生時代より一層の重厚さを持つよ
うになるのと同様に、アルシェの演奏も骨太と繊細さを兼備した名演だった」と伊吹先生にご連
絡した。
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 この後アルシュの指揮者・岡本敏幸さんから新曲の委嘱があった。私は三好達治先生の花の詩
による男声合唱組曲を作曲しようかと計画中だった。私と同郷の大阪出身の大先輩・三好達治先
生の詩による合唱組曲を、私はこれまで7作品作曲している。「海に寄せる歌」「わがふるき日
のうた」「追憶の窓」「季節のたより」「秋風裡」「百たびののち」「達治の旅情」である。豪
放と繊細を兼備した三好達治先生の花の詩による男声合唱組曲の初演にはアルシェが最適と判断
した。
 「百花をこよなく愛でられた三好先生の薫り高い詩風」「花々の周りを飛び交う鳥たちを暖か
く見守る詩人の魂」「花鳥風月の詩の中に垣間見られる女人への三好先生の清澄な慕情」を、男
声合唱団アルシェが見事な初演で実現してくれた。
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 終わりに、この組曲の出版にご尽力くださったメロス楽譜西野一雄氏に、厚く御礼を申し上げ
る。
2013年9月